【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《植村直己》 =013=

2017-08-29 06:21:02 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠

◇◆ ・・・・・・単独行・・・・・・ =5/5= ◇◆

 テントのなかに入ってからについては、植村の文章に直接語ってもらおう。 3月30日、氷のスミス海峡を渡るあたりの記述である。

  《テントに入るとまず石油コンロに火をつけ、履いていた靴、内靴、毛皮の手袋、毛糸の手袋、帽子、マフラー、ヤッケをテント内にわたした紐に吊り下げて乾かす。 テントの天井はたちまち一杯になってしまう。 石油コンロは身動きしたときひっくり返さないように木箱の中に入れておく。 氷を溶かしたお湯で紅茶をのみ、カンテラの明りを頼りに地図を見ながら食事をとる。 セイウチの肉には塩をつけるが、肝臓やキビアにはなにもつけない。

  腹いっぱいに、これ以上は何も入らないというところまでつめ込む――約一キログラムだ。  食事がすむと、その日切れたりほころびたりした犬の胴バンド、ムチ、靴の修理をすませ、紅茶をのみながら日記をつける。 瞬(またた)く間に十二時をすぎ、ときには一時、二時にもなる。 日中の疲労で、ほころびをつくろう縫針をもったまま、眠ってしまうこともあった。》

 この1万2000キロの旅で、植村は毎日の行動をできるだけくわしく、しかし淡々と書いている。 テントでひとりでいるときの充実感は何度かふれているが、自分の心の状態については語ることは少ない。 ただ毎日の行動のくりかえしから、たったひとりで氷上を進む植村の孤独がひしひしと伝わってくるようだ。 彼自身は、テントのなかでも忙しくて、孤独どころじゃありませんよ、といいたそうであるとしても。

 しかし、植村が、ひとりで旅をしていることからくる恐怖を語っている場面が、この1万2000キロの犬橇旅行のなかで2、3回ある。 ひとつは、先にも紹介した、出発してまもなく犬たちに逃げられたとき。もう一つは、グリーンランドのメルビル湾を通過中に、薄い新氷帯に橇を入れてしまい、新氷が割れて橇が海水中に沈んだときだ。 さいわい橇がそれじたいの浮力で浮きあがり、犬たちもまた海中から堅い氷の上にはいあがってきて、橇を引きあげることができた。 植村はまさに九死に一生を得た。

 このとき、植村は、「助けてください、俺を助けてください」と、声に出して神に叫んだ、と書いている。 そして助かった後、事故の瞬間に目に浮かんだ公子夫人の顔に向かって、「俺は元気だよ」と叫んだ。

 植村は、この後、「いつも幸運が自分にまつわりついているわけではない」と反省し、心をひきしめて考える。単独行がいかなるものであるかを、彼は経てきた危機の体験から心底知っているのだ。

 そういう植村ではあっても、長い単独行のさなかに、どこからくるのか定かではない、強い憂鬱に襲われることがある。

 植村が脱力状態のようになって、底知れぬ憂鬱に襲われたのは、橇を海中に落とした事故とかかわっていたと思われる。難所であるメルビル湾の通過をようやく果たし、あと一息で区切りになる目的地シオラパルクという地点まで来て、「気が滅入る」と彼はつぶやく。

 出発して2カ月、やっぱりこの旅は自分にとってきびしすぎた。心身共に疲れきってしまったのだ、と彼は自覚する。1万2000キロの旅のなかで、植村の精神の危機はこのときが最も重大だったと思われるが、彼はそんなときに「気が重い」といって、ひとりになろうとする。 いつもはあんなに親しく感じる(カナック集落の)エスキモーから離れて、ひとりになって自分を取り戻そうとする。

 じっさい、彼は旅をつづけるためにいまやるべきことを頭のなかで個条書きにして、それをくりかえし唱えて少しずつ気力を充実させていった。

 単独行がこのような憂鬱をときとして呼びこんでくるとしても、そこから脱するのは、またひとりになってみるしかない。ひとりでそれに直面するしかない。植村はそれをよく知っていた。

 植村直己の単独行を思うとき、いつも私の頭のなかに浮かんでくる1枚の写真がある。

 1978年、北極点犬橇単独行に成功した後、この冒険とセットをなすようにグリーンランドの犬橇による縦断が行なわれた。橇に赤い帆を張って、広大な氷原上を植村が行く。もうゴールも近く、晴天の輝きのなかを赤い帆が行く(安藤幹久撮影)。

 そこには、植村の単独行の、孤独と自由がある。さらにいえば、何ものにも代えがたい喜びも、ある。

=補講・資料=

北西航路北大西洋)=4/4=

ジョン・フランクリン隊の全滅

探検隊の出発から14年後の1859年、フランクリン夫人が組織したマクリントック隊は、航路の中間にあるキングウィリアム島で探検隊のノートや膨大な遺品、雪原に連なる遺骨を発見し、探検隊が全滅したことや全滅するに至った道のりが明らかになった。 メモによれば艦隊は1845年から46年にかけてデヴォン島南西のビーチー島で越冬し、この際に3人の水夫が結核で死にビーチー島に墓が作られた。 艦隊は南西へ向かったが1846年9月にキングウィリアム島付近の海域で氷に閉じ込められ脱出不可能となった。

翌1847年の夏にフランクリンは死に、船は氷から脱出できないまま1848年を迎えた。 100人ほどになった生存者は1848年の春に船を放棄してそりでカナダ本土を目指した、というところでメモは終わっているが、その後雪原を行進する最中、次々と飢餓や壊血病に倒れたとみられる。

さらに、8,000個も用意していた缶詰は、雑なハンダ付けのために鉛がはんだから食料へ溶け出し、隊員は鉛中毒で体や精神に異常をきたした末に全滅に至ったと推定されている。 ビーチー島に埋葬されていた水夫の遺体からは高い濃度の鉛が発見されており、1846年はじめの時点で鉛中毒が始まっていたとみられる。 また近年の調査では最後の時点で人肉食が起こったとする証拠も発見されている。

ロバート・マクルアーの北西航路横断

行方不明になったフランクリン隊を探す捜索隊のうち、イギリス海軍のロバート・マクルアー率いる捜索隊は、1850年から1854年にかけて西から東へ北西航路を横断した。 これは船だけでなく、部分的にそりを使った通過だった。

マクルアーらの捜索隊はHMSインヴェスティゲーター号で1849年の12月にイギリスを出港し、ホーン岬を回って太平洋へ出、ベーリング海峡を通過して北極海へと入った。 北極諸島の西端のバンクス島に達し、東へと続く海峡(マクルアー海峡)を発見したものの、バンクス島の先のバイカウントメルビル海峡西端付近で船が氷に閉じ込められ、3年間この海域で越冬するはめになった。

餓死で全滅寸前のマクルアーと部下たちは、イギリス海軍のエドワード・ベルチャー卿(Edward Belcher)の隊員たちに発見された。 ベルチャーも同じくフランクリン隊の捜索のために4隻の艦隊で大西洋側から北西航路へと向かったが、バイカウントメルビル海峡で氷に閉じ込められ船のいくつかを放棄し、氷上をそりで移動していたところだった。

マクルアーたちはベルチャー隊とともにベルチャーの船へ移り、北西航路を東へ引き返すこの船に乗って1854年にイギリスへ戻った。 マクルアー隊はこうして、初めて南北アメリカ大陸を一周して帰ってきた探検隊となった。 また一部そりを使ったものの、北西航路を西から東へ初めて通過した探検隊ともなった。 彼らの帰還はイギリス中から歓迎され、マクルアーは爵位を与えられ海軍大佐に昇進し、全員でイギリス議会からの1万ポンドの賞金を分け合った。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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